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『 茶碗 』と『 住まいの哲学 』
2021年9月2日
いつもブログをご覧頂きまして
ありがとうございます。
エス・バイ・エル和歌山 オリエントホームズ
三島 です。
今日は現場を離れて、茶道の道具の一つである
『 茶碗 』の 思い出のお話、
更にSXLの『 住まいの哲学 』のお話をさせて
いただこうと思います。
『 エス・バイ・エル 』は、もともと
『 小堀住研 』という会社名でした。
『 小堀 』 というと、
遠州流茶道の創始者 『 小堀遠州 』が有名です。
千利休、古田織部と続いた茶道の本流を
受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となった
人物です。遠州は、後水尾天皇をはじめとする
寛永文化サロンの中心人物となり、
また、作事奉行として桂離宮、仙洞御所、
二条城、名古屋城などの建築・造園にも
才能を発揮しました。代表的な庭園では、
大徳寺孤篷庵、南禅寺金地院があります。
『 小堀住研 』の創始者がこの小堀遠州の
末裔だという噂があります
が建築・造園に対する情熱のようなものが
似ている気がしております。
さて、
まずは『 茶碗 』の話をさせていただきます。
写真の茶碗は、いまから33年ほど前に
神奈川県の鎌倉市七里ヶ浜で建てて
いただいたお客さまからいただきた
茶碗です。
Sさまは、鎌倉で家を建てる前は
東京 目黒の柿の木坂に住んでおりました
のでSさまとのお打ち合わせは、柿の木坂の
ご自宅でおこなっておりました。
私は、その頃、東京 三鷹市の総合展示場で
○○ホームという住宅メーカーに勤務して
おりまして、そこに来られたのがSさまの
お兄さまでした。
それで、お打ち合せにいくと高級住宅街の
一角にSさまのご自宅がありました。
邸宅というのに相応しいおうちでした。
有名な建築家が設計したとのことで、
女中さんの部屋までありました。
おうちのなかに入ると漆喰壁と黒い
光沢のある床に驚かされた私ですが
まず、ほかのおうちと違ったのが
感じる空気が凛としていてきれい
だったことです。
あとで知ったのですが、
Sさまの御父上様は、とある銀行の
初代頭取になられた有名な方でした。
( 銀行の 頭取という 言葉を日本で
初めて使った方らしいのです。)
まず、お部屋に通してもらい出されたのが
お手拭きとお茶( この場合、緑茶 )そして、
和菓子でした。
家のなかの雰囲気は東京 町田市鶴川にある有名な
白洲次郎・白洲正子さんが移り住んだ旧白洲邸
『 武相荘 』に似ていた気がしますが、なにぶん
30年以上も前のはなしなので勘違いで違うかも
しれません。
ときは流れ、Sさまより連絡が入り
『 形見分け 』としてこの茶碗をいただきました。
以前、柿の木坂で茶道の先生をしていたことを
この時に初めて聞かされました。
あれから、5年ほど経ちますがお元気で
お過ごしでしょうか。
私は大学を卒業後にこの住宅業界にはいり、
いままでこのようなお客さまに恵まれて
支えられながら、住宅ひとすじに営業活動
をおこなってきました。
本当にありがたい話です。
お客さまには、『 感謝 』のひとこと
しかありません。
最後に
技術を優先し、美しいものを愛することで
個性豊かな住まいづくりにこだわった
エス・バイ・エルの創始者『 小堀林衛 』
の提唱した『 住まいの哲学 』を
みなさまにご紹介させていただきます。
『 住まいの哲学 』
日本の住まいは 長い伝統と美しい風土の中で
素材の生命を生かしながら 育ちました
この伝統と個性を活かし現在 と調和させて
こそ高い格調を 創ります
然しややもすれば機能にのみ
走り感覚を忘れがちです
生活は変革し続けても
人間は美を愛し住まいの中に
そのひろがりを求めるのが 本能です
研築とはその理想をあきらめず
究めつづけてやまない 気持ちなのです
住まいの哲学 ( 昭和30年 ) 創業者 小堀林衛